161 : :sage :04/12/12 00:42:27 ID:???
>>159
続きは明日とか言わんで、要約して最後まで書いてくれ。箇条書きとかでもいいから。
そうか、それもそうだな。
細かく書きすぎて、ウザイな。
この後、妻は妊娠して親に報告した。
お袋は「産む気なの?」と一言。
さすがの妻も、一晩中泣いて怒った。
これには俺が「俺の子を殺せというのか。」とお袋に怒った。
妹が「子供なんか産んだら、働けなくなるでしょう!」と言った。
当時、俺の給料は全額借金返済に回っていて、家族の生活は妻の給料に頼っていたからだ。
つわりのひどい間、お袋は「つわりなんて気の持ちよう。私はつわりなんか無かった。」と言い続けたらしい。
このことは、後で出てくる離婚調停の席で初めて聞かされた。
米の10kg袋2個を担いで、台所のある2階に運ばされた話も聞いた。
お袋が「そんなこともできんなら、子供なんか産めるわけが無い」と言ったらしい。
きりがないな。
子供が産まれて妻は会社を辞めた。
特技があったので、土日にお袋に子供を預けて働きに出てた。
平日はおふくろも働いていたからな。
妹が「お母さんにタダで預けるの?保育料くらい払いなさいよ!」というので毎回3,000円払っていたらしい。
仕事は5時間程度家を空けることになる。
子供が1歳の誕生日、妹と妻が派手な喧嘩をやらかした。
原因は「態度が悪い」と妹が難癖をつけてきたかららしい。
妻は出ていくと言い、妹は「金も返さないんなら出てけ!今すぐ出てけ!」と妻の衣類をタンスから引っ張り出して外に投げ捨て始めた。
子供の1歳の誕生日ケーキも蹴り飛ばしやがった。
俺は妹を殴り、車のキーを持って出ていこうとした妻を追った。
妹の当時の旦那が身体をはって車を止めていてくれた。
その夜、妻と話し合って、出ていくことを決めた。
金は妻が隠し持っていた結婚前の貯金を使うことにした。
まーだーかー
>>170 まぁまぁ
大詰めだな、あと一息ガンガレ
おそろしい妹だな。
数日後、新しいアパートで暮らし始めた。
妻は今でもこの76日間が人生でいちばん幸せだったと言っている。
1ヶ月後、俺は仕事を辞めさせられた。
親父が勤め先(仲人で債権者)に来て勝手に退職させると言って退職金までその場で受取ったらしい。
76日後、仲人と親父がトラックで乗りつけて、俺らの家財道具を一切積みこんで実家へ運んだ。
元の部屋の元の位置に収まった家具を見て、妻は涙も出ない様子だった。
「お前らが同居して借金を返す条件で、銀行が金を貸してくれたんだからお前らが出てったら、親父たちは首をつるしかないんや。わかってやってくれ。」と仲人に言われた。
納得するしか仕方がないと思った。
妻は38kgまでやせ、ものを言わなくなった。
髪は後ろ半分無くなって、かつらを被るようになっていた。
背中から腕にかけて湿疹だらけで、幽霊のようだった。
それでも強い女だった。
子供の幼稚園入園が近づいて、妻は働き始めた。
土日は式場のバイト、平日は近所の家で内職の手伝い。
もともと人懐っこい性格なので、近所の人からは好かれるようになっていた。
娘の入園と同時に、妻は保険会社に勤め始めた。
俺は大反対したのだが、「保育料が払えない」という妻に、勝手にしろと言うしかなかった。
妻は保険会社で大活躍だった。
1年後には、本社で表彰されるくらいになっていた。
妻の給料は増え、家族の生活は贅沢になった。
保険会社、保険レディーで表彰ってのは、見内がたくさんいる場合でないと凄く難しいのにな・・・。
一年後と言うなら、追加の資格もとれていない筈だが、それでも表彰って凄いと思う。
>>179
そう、本当にすごかったようです。
保険会社に入るときに、親父が条件を出しました。
「親戚と近所と友達に保険を勧めるな。」
そういう中で、毎日夜遅くまで頑張っていました。
俺を含め家族はみんな「飯はまだか!」「風呂の仕度はどうした!」と感謝どころか「働かせてやってるんだ」という態度でした。
もっとも、保険会社の事務で働いていると聞かされていて実は生保レディだと知ったのは半年後のことでしたが。
何もつてもない人が、一年で表彰されるなんて世界ではない。
コネがないと、表彰なんてありえない。
コネはありましたね。
彼女が結婚前から子供が産まれる前まで勤めていた会社の社長が彼女を可愛がっていましたから、ずいぶん紹介も貰ったようです。
バブル崩壊前で、世間の景気も良かったし。
受けたのは新人表彰(全国7位)なんで、そんなにすごくないのかもしれないです。
だとしても、これは、本当に辛い仕事だ、上手くいってなくても辛いが、上手くいけばいくほど、上からの注文はえげつなくなるんだよ。
>>192
そうかもしれない。けれど妻は泣き言一つ言いませんでした。
ずっと後の話ですが、カウンセラーの先生に聞かされて印象が強かった言葉です。
「奥さんは誉められたことの無い人です。
だから、保険会社で保険を取るたびに誉められて
それが嬉しくて、そういうところに生きる喜びを見出しちゃったんですね。」
594、後であんたの話もきくから少し空気読んで黙っててくれないか。
おい、昔。ココまで引っ張って、夜遅いから明日とか言うな。
きっちり吐き出せ。
>>198
いいのか?かえって迷惑かと思って明日にしようかと思ったんだが。
つか、突っ込んでくれたほうが話しやすいかもしれん。
脱線するかな。
>>189の続きなんだが。
妻は妹を平手打ちし、取っ組み合いの喧嘩になって親父が妻を殴って(ぐーで)2人を引き離したという事件がありました。
俺は仕事にいっていて知らなかった。
このことも、当時の妻からは「ちょっと転んだだけ」と聞いていて離婚調停で知ったことの一つです。
妻は殴られたあとお袋にバケツの水をかけられ、蹴られたのだそうです。
そのころの妻は、ボーナスのたびにお袋にねだられるまま、バッグだコートだと買って与えていて嫁姑は上手くいってると思っていました。
妻は家事に手抜きをしませんでした。
時間には幼稚園に子供を迎えに行き、いったん家に帰って夕食の仕度をしお袋が帰ると娘を預け、また仕事にいきました。
帰りはいつも10時過ぎで、帰るなり洗濯物を片付けアイロンをかけ翌日の米を研ぎ…
夫婦の会話はまったくと言って良いほどありませんでしたがもともと会話はあまりなく(俺が無口だから)気にしませんでした。
そのうちに二人目を妊娠しました。
6年振りの妊娠でした。
2人目不妊というヤツだそうで、かなり病院にも通っていたのですが妊娠する気配はなく、最初の子供が女だったのでお袋や親父の「男を産め」攻撃は激しかったです。
下手に一人いると、周囲は気配りなんぞしてくれません。
「あなたは子供よりお金が好きなんだね」とお袋と仲の良い同僚に言われたと泣いていたこともありました。
産まれたのは男で、妻はこの子供を一切お袋に預けませんでした。
最初から無認可託児所と保育ママさんに預け、親父はめったに男孫を見たことが無いと妹にこぼして、妹が怒鳴り込みまた大喧嘩になるという繰り返しでした。
出産後、長女の保育園の都合もあるので実家に帰らなかったのですが退院した夜から夕食の仕度をしていました。
それが身体に良くないということをあまりわかっていなかった私です。
お袋も何も言いませんでした。というより、「早く仕度してよ」と言いました。
妻は何も言いませんでした。
黙って夕食を作りあげて、部屋に帰って横になっていました。
>昔
スマンもう読んでて気分悪ィわ。
お前ら今すぐ一家首吊ってsh(ry
その頃借金はいくら残ってたの?
>>218
ひどいひど過ぎる。出産後にその仕打ち
その長男が1歳になったころ、妻は突然家事をしなくなりました。
台所にも入りません。
毎日長男と外食して、コンビニでお弁当を買って帰るようになりました。
お弁当は私と長女の分です。
私とも口を聞きません。
冷たい目で薄ら笑いを浮かべてちらっと見るだけ。
汚らわしいものでも見るように、視線を合わせようとしなくなりました。
長女が産まれてすぐのころに、ダブルベッドでは眠れないと私が言ったので眠る部屋も別、顔も見ない日が何日も続いて、ちょっとこれは…と思ったころ私宛に裁判所から封書が届きました。
結婚調停の呼び出し状でした。
となりの部屋に眠る妻からの調停?私は混乱しました。
が、怖くて妻を起こしてまで事情を聞く勇気はありませんでした。
翌日お袋が私に話があると言い出しました。
「☆☆(妻)ちゃん、男がいるらしいよ。義妹ちゃんが聞いてきたの。」
青天の霹靂でした。
もともと妻は男好きのするタイプです。
美人ではないのですが…小西真奈美に似た感じ、でしょうか。
男が出来ても不思議は無いと思いました。
離婚調停は、その男といっしょになるためなのか?と思いました。
お袋がなおも言いました。
「おとうさんと義妹ちゃんが、ここのところ毎日☆☆ちゃんを尾行してるけどまだ証拠は掴んでないみたい。
でも、アパート借りて家財道具とか揃えてるのよ。呆れてものも言えない!」
「最近はお金も1銭も入れないし、ご飯も作らないしどういうつもりなのか、あんたがしっかり聞いてちょうだい。」
「まったくもう。借金返すためにもらってやったのに、恩も忘れていい気になりやがって。」
その後、お袋と激しく言い争いになったのですが、内容を覚えていません。
>>222
家事をしなくなって家族の反応は?
>>224
家事をしていてもしていなくても、ぶつぶつ言うのには変わりありません。
お袋は親父に車を出させて、コンビニ弁当やスーパーのお惣菜屋に行ってたようです。
親父が朝出かけようとする妻に「おい☆☆、今度また餃子作ってくれんか。あれはまぁまぁ食えるでな。」と言って妻に無視されて怒っていたこともありました。
妻の激痩せとハゲと湿疹はその頃には治っていたから男にモテるんですよね?
>>227
ハゲと湿疹は、保険会社入社後には綺麗に治っていました。
身体もぽちゃぽちゃしてきて、けっこうそそられてしまいました。
長男ができたのはそんなころです。
何度も話しかけようとしましたが、妻は綺麗に無視していました。
肩を掴んでゆすったこともありましたが、「会社に遅れるから離して」と静かに言われ離すしかありませんでした。
「調停で話しましょう。差しで話すのは無駄だから」と言われました。
冷たい口調でした。水をかけられたような気持ちとは、ああいう状態のことだと思いました。
調停ではさんざんでした。
2人の調停委員のいる部屋に、交替で入って話すのですが20数項目にわたる妻の訴えの、そのひとつとして、「それは違う」ということができませんでした。
すべてにそのとおりです、というしかない。
そんな状況で、女性の調停委員さんが言いました。
「あなたはそれでも人間ですか。何故そこまで妻が酷い目に遭っているのに知らん顔できるんですか。」
調停委員さんはボロボロに涙を流していました。
結婚前に親父に金を貸していたこと。
結婚してかたら貸した額の合計が400万以上であること。
返してほしいと言った妻に、「お前に借りたことなんかない。もらっただけだ。」と言ったという笑えない笑い話さえありました。
長女妊娠中に、妹が週に2泊することでの負担。
風呂が深夜電気温水器だったため、妻が入浴するときはいつも水だったこと。
その他、細かいことはいっぱいありました。
妻から言われたこともいっぱいありました。
いちばん驚いたのは、借金の主債務者である銀行に、親父が返済を終了していたこととそのことを責めた妻を親父が殴り、怪我をさせていたことです。
(診断書を見せられました)
何も言うことはありません。
「奥さんは離婚を望んでいらっしゃいますがどうしますか?」という調停委員さんの言葉に「私は別れたくありません」というのが精一杯でした。
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